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ありがとうございます!

 投稿者:畠山義綱  投稿日:2018年11月25日(日)18時51分8秒
  >武藤様
なんとか20年続けてこられました。今後とも細々と続けていきたいです。
なんかビジュアルも変えられないかな・・・と思いますが、そんな余裕はまだまだなさそうです。
 
 

20周年おめでとうございます

 投稿者:武藤舜秀  投稿日:2018年11月24日(土)21時42分26秒
  歴史系の個人サイトが20周年を迎えるなんてないでしょうね。これからも30年40年を目指して頑張ってくださいませ。  

何度もすみません

 投稿者:武藤舜秀  投稿日:2018年11月19日(月)22時26分10秒
  また訂正お願いします
江馬氏館へ行ってのは、七尾へ行った次の日でして、
春日山城の次の日に中野氏館へいきましたね。
 

八尾

 投稿者:武藤舜秀  投稿日:2018年11月19日(月)22時00分50秒
  八尾といえば、越中八尾のおわら節が有名ですが、それは越中の話です(笑)
八尾は生駒山地の嶺が八つありまして。。。でも、無いですね。。。

ネタは置いといて、
博物館は知りませんでしたね。
この辺りは今谷明先生や天野忠幸先生がお詳しいのかなと思っておりました。
また行ってみようと思います!
 

訂正しておきました

 投稿者:畠山義綱  投稿日:2018年11月19日(月)21時12分14秒
  >武藤様
私の記憶違いですみません。そろそろ自分のことも年表にまとめておかないとわからくなりそうだったのですが、すでにわからなくなっていました(笑)
お詫びして訂正しておきます。
>また河内畠山氏のことを調べて見ようかなと思います
前回八尾市の博物館にはいらっしゃったのでしたっけ?八尾市の博物館には小谷氏が河内畠山氏の最新の研究をしています。ぜひぜひ
 

サイト年表ありがとうございます!

 投稿者:武藤舜秀  投稿日:2018年11月18日(日)22時48分4秒
  私を書いてくださってありがとうございます。
ただ、2005年に長様と3人で能登へ行ったとありますが、私は参加しておりませんでした。。。
畠山様と初めてお会いしたのが2007年の旅行だったものでして。

前回の旅行で言っていた面接の結果、大阪の八尾(河内国)で働くことになりました。教興寺合戦の近くですね。また河内畠山氏のことを調べて見ようかなと思います。
 

こちらでははじめまして

 投稿者:小野寺遠江守維道  投稿日:2018年11月13日(火)23時32分13秒
  畠山義綱さま こたつさま

日曜日はいろいろとありがとうございました。
関東の戦国史などお二人の知識力に少しついて行けないところもあったので、感心すると共に自分の勉強不足をつくづく感じました。

でも、いろいろなお話しを聞けてたのしかったです。昨年家族で能登を旅しましたが、時間の都合上、歴史に関わるところはすべてスルーでした。ここで勉強させていただきます。私も第四くらいのふるさとが羽咋ですので、さらなるアップ楽しみにしてます。

次回のオフ会、楽しみにしております。
 

大量に更新しました。

 投稿者:畠山義綱  投稿日:2018年11月12日(月)21時43分24秒
  能登と加賀に現地調査に行ったため、久々に大量更新と相成りました。

<能登畠山氏七尾の歴史>
・のと里山里海ミュージアム(七尾の史跡めぐり)
・熊木城
・堀松城(末吉城)
・七尾はいま!?
<加賀冨樫氏野々市の歴史>
・松根城
・野々市はいま!?

≪今後の更新予定について≫
・サイト開設20周年特別企画(能登旅行の話題が中心になります)
・増山城訪問記(情報量が多すぎてまとめられる気がしない)
・山中城訪問記(一昨年行っているのにまだアップされていない。まとめられる気がしない。)
・蓮沼城訪問記(ほぼ石碑のみの遺跡でこちらは近々アップが有力(笑))
 

こちらこそです

 投稿者:畠山義綱  投稿日:2018年11月12日(月)00時44分42秒
  >こたつ様、小野寺様
こちらこそ楽しかったです。ありがとうございました。
オフ会をしていると、疲れているのですが、歴史のアップをしたくなり、先日の武藤様の能登様子をアップしてこの時間。やばいやばい仕事に差し支える・・・。

関宿は戦国の遺跡ではありませんでしたが、かなり勉強になる会になりましたね。今度はばりばり中世史跡に行きたいものです。やはり小田城?ですかね?鉢形城もなかなか見応えがあります。東北も良いですね・・・。

室町将軍はそれぞれやはり特徴がありますね。

3代・義満→6代・義教
4代・義持→5代・義量
それぞれの影響を受けており、安定した治世を築こうと努力している瞬間が、もう戦国時代の守護大名のような大変さ。こういったのは、鎌倉府や古河公方でもあったのでしょうね。きっとこれが享徳の錯乱に通じていることでしょう。

いっそ今度は、午前中史跡巡りで午後は史実の整理の討論会でも面白いかもしれません。ぜひぜひまたよろしくお願い申し上げます。
 

本日はありがとうございました!

 投稿者:こたつ城主  投稿日:2018年11月11日(日)23時55分33秒
  畠山義綱さま
本日は遠い所をおいで頂き、誠にありがとうございました。
念願の御目文字が叶い、本当に嬉しかったです!
こちらを拝見して気付いたのですが、畠山さまには連週のお出掛けでいらしたんですね(^_^;)。。何卒ごゆっくりとお疲れを癒し、お体をお休めになって下さいようm(__)m
帰りの道々も帰宅後も、思い出しては「今日は楽しかったね~(≧▽≦)」という言葉が出てしまいます(笑)。想像を超えた楽しさ全開のオフで、今も興奮絶頂であります!(笑)
お土産、早速美味しく頂きました(#^.^#)。遅ればせながら、ご親族様の御慶事、心よりお祝い申し上げます。

■足利義持と義教
三代から六代にかけての足利将軍は、常に前代の反対路線を執る傾向を感じます。それだけ三代義満以降は、将軍の持つ官位や権限が大きくなり、僅かな偏りでも、次代に修正してバランスを取らざるを得なかった、という部分もあったかもしれません。
江戸幕府に比べれば、室町幕府は次々と新経験を試していた時代だったのかもしれません。

■享徳の乱、応仁の乱の時代
享徳の乱の方が、応仁の乱より輪をかけて複雑怪奇であるにも関わらず、なぜか東国の戦国幕開けに惹かれます(^_^;)。
自分が東国にいるからというのは勿論あるんでしょうが、昨今つよく感じる一つは、近畿以西の武家大名の多くが東国から入って来た「ヨソ者」なのに対し、東国……特に北関東では、平安期(下手すると奈良以前)から続く息の長い勢力地盤が、急に歴史の表面にムクムク姿を現す瞬間だからかな~と思う事が増えました。
もう一つは、乱によってひたすら乱れていった京とその周辺に対し、東国では公方自らが古都である鎌倉を体制ごと脱却し、江戸に幕府を築くに至る経験則(鎌倉→古河→江戸)を積み重ねていった点が、どこか前に進んだ印象に繋がるのかもしれません。

http://kotatu.jp/

 

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