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「義慶奮戦記」全面改訂の要旨

 投稿者:畠山義綱  投稿日:2017年 9月 3日(日)17時56分2秒
編集済
   この度、「義慶奮戦記-義綱奮戦記番外編-」を大幅というよりほぼ全面改訂いたしました。その要旨は、今回新設した「義慶奮戦記」のあとがきにあるのですが、一応改訂の要旨としてこの掲示板に、そのあとがきの内容を書きたいと思います。

 『義綱奮戦記』は2000(平成12)年に完成してネットに公開しました。その完成直後から「今度は息子の畠山義慶の生涯を書きたい」と思って勢いで『義慶奮戦記』を書き始めました。しかし、晩年の畠山家ではかなり古文書が残っている畠山義綱に対し、ほとんど古文書がない義慶。書き始めてすぐにこれは難しいと筆が止まってしまいました。しかし、途中になってしまってはと、なんとかストーリーを完成させましたが、納得のいくものではありませんでした。完成後、徐々に歴史の勉強を深めて行くうちに、最初に完成した『義綱奮戦記』をどんどん改訂していきました。歴史小説やNHK大河ドラマを見ていると、どんどん発想が沸いてきてきます。すばらしい作品を参考にすることが創作意欲をかき立てるのだとわかりました。

 そんな中、私は義慶奮戦記の可能性に気づきました。最初こそ義綱と義慶は親子なのに直接の接点が薄く、結局書くことが難しいと思っていましたが、逆に直接の接点が薄いからこそ書く視点が増えるということに気づきました。つまり、義綱の能登奪回計画を行っている最中に義綱は義綱方として御舘館に在陣しています。その一方で義慶(次郎)は七尾城方として敵方として描かれています。つまり、一方の視点を描いて、その舞台裏をもう一方の視点で書けるということです。義慶(次郎)は敵方でありながら、実は義綱方に駆けつけようとし、それを七尾城方が察知してなんとかさせないようにする点。御舘館に対する義綱方の退却戦略と、攻略した後の住民の対応。こうして物語を描くと『義慶奮戦記』が独立した一作品としてではなく、まさに『義綱奮戦記番外編』としての機能を持ち得たのです。それに気づいて、本日『義慶奮戦記』の大幅な改訂を行いました。これを以て私は『義慶奮戦記-義綱奮戦記番外編-』の一応の完成を見たのではないかと思って「あとがき」に書きました。
 ちなみにこの番外編の物語に頻繁に出てくる「公私意に任せずに政を御成敗する」と言う言葉。これは「六角氏式目」の一説です。能登畠山家と関係が深い近江六角氏において1567(永禄10)年に制定されたもので有力な被官と大名との間に順守すべき事項を起請するという形式をもって大名専制政治を防ぐ効果があったと言います。この分国法は1563年(永禄6)年に起こった六角氏が重臣を暗殺して怒った観音寺騒動や1566(永禄9)年の六角対浅井長政との戦いに惨敗したということにより家臣が大名の専制支配を見限ったという経緯で作られている。これは、能登畠山氏の状況も似ている。そこでこの「六角氏式目」の一説を取り、能登畠山氏の内部崩壊を描いたのです。

 今まで作品に納得がいかなかったものを、十年以上経って納得がいく作品を完成させることができる。これがネットの良い点だと思います。今回の大幅改訂を以て『義慶奮戦記-義綱奮戦記番外編-』は一応の完成を見た訳ですが、この気づきをもし他の場面でも生かせたら。もう一度義綱と義慶のニアミスがあったら…とアイディアが生まれたら、また改訂することもあるかもしれません。そんな可能性を秘めて、一応の完成を見たあとがきとさせて頂きます。
 
 

「義綱奮戦記」7話改訂要旨

 投稿者:畠山義綱  投稿日:2017年 9月 3日(日)11時02分51秒
  本日、「義綱奮戦記」の第7話を改訂しました。

御舘館集落の住民と義綱との触れ合いです。「おんな城主直虎」の小野政次の処刑に影響され、ちょっと史実に合わせて裏の舞台設定を作ってみました。直虎は国人小領主のため、住民との触れ合いがキャプチャーされていますので、参考になりました。よかったら小説第7話もご覧ください
 

返信です。

 投稿者:畠山義綱  投稿日:2017年 8月16日(水)22時31分21秒
  >巣鴨介様
残暑お見合い申し上げます。
といいつつすごく涼しいですね。本日は関東でも10月並みの気温だったそうです。
私はまた『加能史料』という本が刊行されまして、加賀能登の活字化された古文書を楽しみにみております。1565年から1572年までの史料ですが、冨樫関連はありませんでした。
やはりこの時期の冨樫は古文書の制約が厳しいです。駿河の冨樫の話はでてくるのですが、
なぜなのか気になります。
歴史もゆるやかに参りましょう。

>武藤舜秀様
朝倉氏遺跡資料館いいですね~。また行きたいな~と思いながら時々サイトをみて展示会をチェックしています。みたい企画展もあるのですが、展示図録などの販売も大きな展示だけに限られていますので…。うらやましい(笑)
 

朝倉氏遺跡資料館の企画展示

 投稿者:武藤舜秀  投稿日:2017年 8月16日(水)21時00分57秒
  一乗谷の朝倉氏遺跡資料館にて「朝倉家臣団~重臣鳥居氏と堀江氏~」が企画展で開催されております。今日行ってきたのですが、金津の溝江公・富樫公一族之墓並辞世之詩歌碑拓が展示されていました。
今回は小さな企画展なので図録はないのですが、なかなか中身の濃い内容でした。

http://asakura-museum.pref.fukui.lg.jp/030_event/detail.php?id=182

http://asakura-museum.pref.fukui.lg.jp/030_event/detail.php?id=182

 

残暑・・・

 投稿者:巣鴨介  投稿日:2017年 8月14日(月)23時49分34秒
  残暑お見舞い申し上げます。

どうか健康に注意され、まだ続く暑い日々を乗り切られますよう
お祈り申し上げます。

熱もだいぶ落ち着き、買い漁りも無くなりました(笑)
 

やはり…

 投稿者:巣鴨介  投稿日:2017年 6月17日(土)15時27分12秒
  >武藤殿
PCでの修正で対応できるのですね。ただ、自分がプレイする蒼天録はWindows8に対応して
おらず、XP仕様の古い本体でしなくてはならなさそうです。

>義綱殿
コンシューマは使いやすさはあるのですが、武将説明の書き込みはできませんでしたよね。
武将解説は新武将作成の時の自己満足に過ぎないのかもしれませんが、僕個人としてはある
のと無いのとだと、ちょっと違うのです(笑)無ければ、何だか架空武将と変わらない感覚
になってしまって。
ちなみに祖父と孫の関係だと、血縁としての繋がりは維持され、コメントとかにも反映され
ていましたでしょうか?


結局、『新説 戦乱の日本史 加賀一向一揆』『秘聞一向一揆』を購入しました(笑)

>「富樫軍編成表」というと、やはり官知論の冨樫政親の家臣のデータが載っていそうな気が
 します。
義綱殿の予想が当たりました(苦笑)やはり、長享の際のもののみでした。内容に関しても、
亨禄の錯乱、晴貞の蜂起、泰俊自刃に関してはほとんど記述がありません。
残念ながらこれが、一般的なムックでの限界なのだと思いました。
 

>武藤舜秀様

 投稿者:畠山義綱  投稿日:2017年 6月10日(土)21時04分47秒
  お返事がおそくなりました。
やはり親子設定が変えられないのはちょっといただけませんね。
私はどうもPCゲームとパソコンが相性が悪く(スペックが悪いのもありますが)
なかなかPCゲームに手が出ません。いつもコンシューマ版で悶々としております。
 

既存武将の親設定

 投稿者:武藤舜秀  投稿日:2017年 6月 4日(日)22時29分37秒
  私はパソコン版で信長の野望を楽しんでいますが、8割伊達でプレイしておりますので、すぐに飽きてしまいます。
そこで、某ツールを使い、データの改変をして楽しんでおります。
たしか、既存武将の親設定も変え、血筋も同じ血族も番号に設定するとできたと思います。
プレステではほぼ無理でしょうが、次回からパソコン版の購入をお勧めいたします。
 

>巣鴨介様

 投稿者:畠山義綱  投稿日:2017年 6月 3日(土)00時33分21秒
  お返事が遅くなりまして申し訳ございません。

『富樫文献集 (金沢工業大学文化事業部刊)』、ちょっと気になっておりました。追記ありがとうございます。小冊子ということで、やはり冨樫の資料は多くないですね。越中小杉氏の子孫の話があるとは…。巣鴨介殿と、「越中小杉氏のところに由緒でも残っていれば…」と話したことがあったような気がします。や冨樫や家臣の実名が判明できるような小杉氏の資料はあったでしょうか?
>、『新説 戦乱の日本史 加賀一向一揆』もどうするか迷っています。義綱殿はお持ちでしょうか?
そんなものが出ているのですね。「富樫軍編成表」というと、やはり官知論の冨樫政親の家臣のデータが載っていそうな気がします。がひょっとしたらという期待もありますね。

信長の野望ですが、箱庭がずいぶんグレードアップしているようで、ちょっと楽しみではあります。PKが出るまで様子見ですが…。
>こんな希望を持つファンはいないのかもしれないですが…
>個人的に新武将作成ができるとして、既存武将を親として設定するだけではなく、
>逆となる、新武将を既存武将の親として設定できるようにして欲しい。
この要望は私が知る限りでは特に歴史好きにはその要望が多いです。私も同じように思うのですが、やはり既存武将の親設定をいじるのは設定的に面倒なのでしょうかね?
 

追伸

 投稿者:巣鴨介  投稿日:2017年 5月29日(月)10時21分19秒
編集済
  『冨樫文献集 (金沢工業大学文化事業部刊)』が届きました。
ページ数にして68P,政親と晴貞の馬の絵など写真の掲載がメインの小冊子と言った
ものです。ただ、収穫もありました。

それらの画像資料の元である絵画や文書は晴貞の嫡男・晴友の家系…越中小杉家の子孫の
方が冨樫館跡の石碑を金沢工業大学と奉賛会が建てた際に学校へ寄贈されたものらしいの
です。それ故、馬の図以外に小杉家家系図も載っていたことです。
天正の泰俊自刃以降はその子家俊…押野後藤家のことはいくつか記事を見受けますが、それ
以外の家についての情報を知りませんでした。

晴友は伝灯寺で自刃しておらず越中に脱出、前田利長が松任城在城時の天正11年に召し抱え
られ、以降小杉姓を名乗り寛永13年に83歳で没。以降子孫は前田家に70石で仕えたとあり、
その子孫が受けた代々の知行書が載っていました。
 

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